在りし日の北陸鉄道能登線
羽咋-三明(さんみょう)間25.5Kmを走っていた”北陸鉄道能登線”をご存じですか?
この鉄道は1972年(昭和47年)6月25日正式に廃止されました。詳しくは「石川の鉄道」、「かってに北陸鉄道」Webに紹介されてますので寄って見て下さーい。ここでは,鉄道跡地を追って現在の姿を、在りし日の気動車とともに紹介していきます。なを、線路跡地は元の三明駅から富来まで延長され、35kmを自転車専用道「能登海浜サイクリングロード」として親しまれています。
北陸鉄道能登線の線路跡地を追う。
@〜H番での現在の写真。
上は大正末期の羽咋駅で1000型CタンクとB型
タンクです。貴重な写真を元社員の方からお借りしました。
地図番号 |
@ |
A |
B |
C |
− |
D |
駅名 |
羽咋 |
能登一宮 |
滝 |
柴垣 |
甘田 |
大島 |
駅間距離 |
0 |
3.3Km |
0.8Km |
4.2Km |
2.3Km |
2.0Km |
E |
− |
F |
− |
− |
G |
H |
能登高浜 |
志賀町 |
堀松 |
大笹 |
米町 |
直海 |
三明 |
2.0Km |
0.8Km |
1.4Km |
2.4Km |
2.1Km |
1.4Km |
2.8Km(25.5Km) |
旧能登線跡地を含めて | 状況 | 現在の様子 |
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@羽咋駅 廃線間近の羽咋駅構内です。入れ替え兼除雪用ディーゼルが見えます。その奥には急行デッキ付きとしても使用された5011号機が待機しています。 現在の七尾線羽咋駅です。千路方面から進入してきた415系普通電車です。 |
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七尾線に並行し、右にうねりながら写真右奥で跨線橋を通って西へ能登一宮方面に向かう。跨線橋を越え、羽咋川に沿って堤の上を走ると、西に向かって左手に旧繊維会社の社屋が見えます。昭和中期の建物でしょう。ハイカラですが、今日では繊維業は全く振るいません。 |
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A能登一宮駅 ここは羽咋一宮である「気多大社」の海岸側を通っている。正月には20万人を越える参拝客で賑わいます。きっと当時も着飾った老若男女、子供で大社に至る縁道を華やかに飾ったであろうここいらです。 |
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B滝 駅 滝漁港の近くで島式ホームの跡地として 旧滝小学校。最近まで使われていたが 児童数が減ってしまっています。残っています。 |
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C柴垣駅柴垣内に入る手前の坂でこ こを下り、写真右の木橋(最 近出来た橋)を通って村に至 る。 長久手島(ながくてじ ま)の前に駅があった筈だが 今日では面影も見ることも出 来ない。 風光明媚な所で、 夏には海水浴客、最近ではサ ーフィンをする若者が冬でも 見られます。 |
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当時の柴垣。左手が長久手島で滝方面に進行中(北陸鉄道社史より) 上左写真付近を通過中です。 | ![]() |
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D大島駅 柴垣から大島海岸への登りの 線路跡 大島駅も島式ホームだったようだ。跡地には公民館が建っている。大島海岸はキャンプ地として夏に賑わう。「飛騨」「松本」ナンバー の車が目立ちます。 |
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E高浜駅 志賀町にあり中能登の中心街です。浜駅跡地は北陸鉄道のバスターミナルとなっており、町役場や、マーケットなどと共に整備されています。ここいらは松本清張の「ゼロの焦点」のロケ地としても有名です。また、いこいの村、能登ロイヤルホテルなどの行楽施設も整っており、夏場中心に賑わいますよ。 |
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F志賀町−堀松駅付近の鉄橋 国道249号線を三明方面に向かって堀松の交差点を左折する手前で見られます。橋桁には「能登海浜サイクリングロード」と大きく書かれています。知らない人がみるとなんとも自転車道にしてはゴッツイ橋のように見えるでしょう。 |
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G直海駅付近小鉄橋 249号線に沿ってありますが、駅自身の跡地ははっきりしません。この水路にはゴミも多く、汚れがひどいようです。 |
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H終点 三明(さんみょう)駅 富来町福浦に至る県道手前に終点旧三明駅があります。今はバスの終点で小さな広場となっています。写真は終点を過ぎて、引き込み線と思われる線路跡地です。ここいらは、向かいは田圃で今も昔も変わっていないような光景です。ここを過ぎると峠を越え富来町中心街に入ります。 |
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1972年廃線の年の写真です。この写真を見ると今走っていても可笑しくないよにも思えます。! | ![]() |